第033回: ボブ・ディランの事

 ボブ・デイランBob Dylanの事は以前差別の事を取り上げた時に書いた。1941年生まれ、ユダヤ系アメリカ人のミュージシャンである。“ボブ”はロバートの愛称、“ディラン”は詩人ディラン・トマスにちなむ、とWikipediaには載っている。2016年歌手として初めてノーベル文学賞を受賞した。

このディランがつい先日(2020年7月8日発売)ノーベル賞受賞後、初の新曲のアルバムを発表した。”Rough and Rowdy Ways”(ラフ・アンド・ロウディ・ウエイス、ぼくはこの発音はラフ・アンド・ラウディ・ウエイスに近いと思っている。ラとラが頭韻を踏むではないか)を発表した。タイトルの意味は大体「(古く良き)ラフで荒々しい生き方」と言って、内容が過去回想である事が想像できる。

ぼくは古い人間なのでボブ•ディランときくと初期の”Blowing in the Wind”の甲高い声、突如聞こえるハーモニカを連想してしまうのだけど、今度のアルバムは、声も低いしテンポもゆるやかで一言で言うとデイランも相応に歳をとったな、と言った印象を受けた。ご存知の様に決して美しい声の人ではなく、同時代の、よりポピュラーなP、P&Mなどが彼の歌をカバーしたことによって一般に知られる様になったのだが、確かに内容は”Blowing in the Wind”の様に時代に訴えるものがある。

今回のオリジナルな歌詞は、昔の彼の作品と違って過去を振り返る、より具体的な内容になっている様に思える。これは音楽専門家の言う事を信じる他ないけれど、アルバム・タイトル「ラフ&ロウディ・ウェイズ」そのものが過去からとられており、1960年に発売されたカントリーの大スタージミー・ロジャース(Jimmie Rodgers)のアルバム「My Rough and Rowdy Ways」にのっとっていて、デビュー前からジミー・ロジャースの歌をカバーしていたディランがアメリカ大衆音楽の先駆者ジミーへの思いを込めたアルバム・タイトルなのだそうだ。

ムードは暗い。二枚組のCDの二枚目(Disk-2)を飾る歌”Murder Most Foul” (最も卑劣な殺人)は特にそうだ。あの公民権運動の最中、彼の歌「風に吹かれて」が注目を浴びていた1963年に暗殺されたケネディ大統領と事件の当時を思い起こさせる名前、歌のタイトル、など(ぼくもそうだが)同時代のアメリカを知るものが聞けばすぐ分かる様な「キー・ワード」が散りばめられている。

広く捉えればフォークの殺人のバラードの伝統の中にある歌の様にも聞けるが、50年後に歌い上げられている不思議な歌だ。血生臭い歌詞は陰謀を想起させるが、ディランがどの陰謀説をとっているのかは専門家ではないぼくには分からない。ただあの暗殺事件が50年たった今ノーベル賞受賞者によって永遠のものになった感がある。

それにしても長い。その昔の彼のバラードで“Hard rain’s a Gonna fall”(はげしい雨が降る)と言う歌があるが、それよりずっと長く感じる。(余談だが彼と親交があったロック歌手のパティ・スミスはノーベル賞受賞式でディランのこの歌を披露したが、途中で絶句、何秒かの空白が開いたという事件があった。ご本人は歌詞を忘れたからではないと言っていたが、決して覚え易い短い歌ではない)

 二枚組のもう一枚(Disk-1)は計9曲、こちらはもう少し短く彼の最近の心境を述べている様に見える。例えば冒頭の”I Contain Multitudes”( アイ・コンテイン・マルチチュード)は「俺はこんなにいろいろな要素を持った人間だ、どう受け取ろうとあんたの勝手だけどね」と言うかの様に事実を述べている。ただし読み解くのは難解だ。昔の彼の歌は抽象的でわかりにくかったが、タイムリーなテーマだったので解釈が割合と容易だった。「風に吹かれて」と彼が歌う時、ときの自由民権運動と関連づけないわけにはいかない。今回彼が見つめるのは彼が生きた約80年のアメリカの集大成の様に思えるが具体的なのになぜそこに歌い上げられているかが不明で結局読み解くのは難解だ。同世代人として、おこがましくも、一つ感じるのは、やはり自分がいなくなることに思いをはせている事だ。ノーベル賞まで受賞すると人間、腹を括るものなのだろうか。

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