第21回:貝瀬さんのこと

 英語アナウンスの先輩の貝瀬千晶(かいせちあき)さんについて少し書きたい。 貝瀬さんは学者だった。およその参考書は処分してしまったが、手もとにまだ置いてある資料の中に貝瀬さんの本がある。共著で出版された本の名は「英語アナウンス入門」、アルク社から1979年に出版された本だ。ざっと200ページの本の内容は、英語アナウンス全般をカバーしており、現在絶版。その後似たような本は出版されていない。もちろん英語アナウンサーになる人は少ないけれど、英語アナウンスの技術はいろいろな分野で需要があるので、なかなか貴重な本だと思う。

カバーを見ると簡単な経歴が書いてある。1936年生まれ。1959年東京大学教養学科卒業。とても英語がよくできた方だった。もしまだご存命なら84歳。残念ながら確か肝硬変で70歳で亡くなられた。大変皮肉だが、貝瀬さんは酒もタバコも嗜まない方だった。亡くなられてもう14年になる。

僕自身そうだけれど貝瀬さんもNHKに入ったときの身分は中途採用だった。入社試験で入ってきた人たちがキャリアだとすると中途採用はノンキャリアの位置付けになる。僕の場合はアメリカの大学院に長くい過ぎたので新卒で入る可能性は無かった。貝瀬さんの場合は最初に大手製鉄関係の会社に入られたのだけれど、なかなか英語が使える部署に移動出来なかったので、ちょうど中途採用中だったNHKの国際放送の採用試験を試しに受け、ものすごい倍率の中無事受かって英語アナウンサーになられたようだ。

その時の試験は早稲田大学の教育学部の教授になられたような先生方でも興味があって当時試験を受けたけれど採用されなかったと言う話をしておられるのを聞いたことがある。狭い門だったようだ。貝瀬さんは、本当はロンドンのBBCとのアナウンサー交換制度で2年間現地に行きたかったのだけれど残念ながら叶わず(希望者が多すぎた)。局の半年の研修制度の中で英国のロンドン大学、BBC放送への研修に行った。ついでに自分のことを言わせてもらうと、僕の場合は結局NHKからの研修には行けず、ましてやBBCの交換制度の対象にもならなかったが、それはまあアメリカに13年いたのでいたしかたなかったかもしれない。ただアメリカに住んでいたのと本格的なアナウンスの研修を受けるのとは違うので、もし行かせてもらえたらより良いアナウンスができたと思うし、恐らく定年前に辞めたりはしなかっただろう。

 思い起こすと貝瀬さんは後輩にはとても親切な人で色々と指導をしてくださった。ただしアナウンスそのものというよりは、英語アナウンス関連の参考書とか辞書、そしてその他にもいろいろな資料を教えてくださった。 貝瀬さんは普通の人が持っていないような録音資料を持っていて、ある時三島由紀夫の英語インタビューを聞かせてもらった事がある。三島の英語はややべらんめぇだと思ったけれど彼の日本語と同じくよく通る声で内容もよくわかる英語ではあった。

アナウンサーとしての貝瀬さんはイギリス風の発音で随分リンガフォンの教材などを使って学習されたようだ。その甲斐あってか貝瀬さんのアナウンスは少し甲高い声だったが、イギリス英語に聞こえた。正確ではあったが自然ではなかったのがたまに傷だった。天は二物を与えず!

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