第15回:松田和司君の事

 僕はオーディションでNHKの国際放送ラジオジャパンに採用されたと以前書いたが、同じオーディションルートで採用された者は僕の他に2名、松田和司君と坂巻博和君がいた。

坂巻君はまだ存命なので、取り上げないでおくが、素晴らしい声の持ち主で今でもラジオ第二放送でニュースを読んでいることがあると言う事だけメンションしておく。退職しても特技があるとまだ使ってもらえると言う例だと思う。僕もニュースを読みたいけれど、もう年を取りすぎている。それと途中下車したのが気に食わないのか雇ってくれないようだ。発音のコーチぐらいできるんだけれど、特にお呼びは無い。これについてはまた別の時に。

松田君は残念ながら亡くなってしまった。彼は僕より1歳年下で、60歳の時に亡くなった。今生きていたら74歳。早いもので亡くなってからもう14年経つ事になる。
彼がいかに優秀かと言う一つの例は彼が最終的にBBCの日本の子会社の社長になった事だ。なりたくてもなかなかなれないと思う。彼の葬儀はBBCの社葬だった。

僕はアメリカに移民として渡ったのだけれど、松田君は奨学金をもらってアメリカに渡った。ICUなど日本の大学もいくつか受かっていたのだが、当時ガリオア基金と言うものがあってこの関係で見事アメリカに留学した。これは有名なフルブライト奨学金の前身とも言えるものでこの奨学金をもらうのはなかなかのことだった。大体フルブライト級の奨学金をもらってアメリカに行った人でできの悪い人はまず見たことがない。それだけでも松田君がいかに優秀かがわかる。

アメリカの留学先はイリノイ州のマンモス大学(Monmouth College)と言う大学だった。日本ではほとんど知られていないが、マンモスはいわゆるリベラルアーツカレッジで並の州立とか公立の大学よりはよほど良いと言うのが常識である。もう一つ言うとハーバード大学やイエール大学を引き合いに出すまでもなくアメリカの大学で良いところは殆ど皆私立(プライベート)大学である。

https://en.m.wikipedia.org/wiki/Monmouth_College

 さて、日本に戻ってきてからの就職先だが、最初は全くはNHKとは関係のない、当時最も有名なアメリカの航空会社に就職した。ただし地上職だった。そしてある日彼が東京青山の青山学院大学のキャンパスを歩いているとオーデションの広告が出ていた。英語アナウンサー募集と言う見出しで、青山学院大を通り過ぎた者以外は全く知らない不思議な広告だった。

NHK国際放送での松田君は、プロデューサーとして素晴らしい能力を発揮して当時のラジオジャパンに新風を吹き込んだ。ディーエックスコーナー(DX Corner)と言う番組があるが、これは世界の短波放送に関わっている人達と交流を深める番組で後にイギリスのBBCに行くことになったのもその時のキャリアが生きたのだと僕は思う。何が役に立つか分かったものではない。しかし、能力が発揮でいたとはいえ国際放送NHKは彼にとっては結局は不満足な職場だったようだ。何故かと言うと先日も書いたアナウンサーの交換でラジオジャパンからBBCに派遣されるのは何故か日本で学習した人ばかり、彼のように(また僕のように)アメリカで学習したような者はお呼びでなかった。彼の場合それが大きな理由で辞めることになる。

 僕は結局27年国際放送ラジオジャパンにいてその後日本の工業大学に行き、英語の先生に転職してしまったのだが、彼の場合はNHKを辞めた後、世界を転々とする事になる。まずオーストラリアで日本の不動産会社の広報担当。一度日本に戻ってきて確かUNICEFの仕事をしていた。しかしBBCには行きたかったらしく、在職中に仲良くしていたBBCの職員の紹介でイギリスに渡り、BBCの短波日本語放送がなくなった後のBBC World TV日本語同時通訳のまとめ役として頭角を現し、見込まれて日本の子会社の社長に就任した。

しかし激務だったと思う。好んでではあろうが、イギリスに頻繁に出張があり、日本に戻ると日本の夕方から夜にかかってくるイギリス本部との電話会議など休む暇もなかったようだ。その頃会う機会が有ったが、「自分が社長である内に週休3日制にする」と言っていたのは、後から考えるといかに彼が疲れていたかと関係していたようだ。

そうこうしているうちにある日連絡があって、緊急入院検査、結果がわかればそのまま入院して手術と言うことになると言うことだった。その後しばらくしてまた連絡があり、落ち着いて冷静に話してくれたけれど、結局不思議な病気(いわば心臓の癌)で、手術をしても余命1年と言うことだった。驚いた。そして、せっかく電話までかけてくれたのに、なんでその後会いに行かなかったのか、今でも後悔している。後の祭りだが、毎年6月6日の彼の命日には花を持って埼玉の家にお参りに行く事にしている。

松田君は優秀だった。ただしアナウンスの事は残念ながら在籍期間が短かった事もあって、能力を発揮する場面はなかった。彼はむしろプロデュースが向いていた様だ。

前回、川田チーフアナウンサーの話をしたが、残念ながら発音と発声は持って生まれたもので、余り改善する余地は無いように思う。

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