第055回:森川さんと会った人達 その1

 先々週、ラジオジャパンの大先輩、森川淑子さんが亡くなられたことを書いたが、今回思い出したのだけれど 最初の 霞ヶ関の 町長さんもさることながら その他に色々なインタビューのお供をしたことを思い出した。一つには森川さんは足が悪かったので放送用のいわゆるオープンリールはまさに鉄の塊の様な重さだったのでテープレコーダーの係りが必要だったという事がある。それにしても出番が多かったのはひょっとしてこの駆け出しのアメリカ帰りの若造にインタビューの仕方を教えてやろうという考えがあったのでは無いかと今になって思う。

「バーナード・リーチ(Bernard Howell Leach、1887年1月5日 – 1979年5月6日)は、イギリス人の陶芸家であり、画家、デザイナーとしても知られる。日本をたびたび訪問し、白樺派や民芸運動にも関わりが深い。日本民藝館の設立にあたり、柳宗悦に協力した。」とWikipediaには載っているが、活躍したのは戦前であり、歴史上の人物と思っていた。

さて、森川さんはいつバーナード・リーチとインタビューをされたのだろう。

僕が職員として会う事ができたという事は自分の入局以降のことであろうから1971年以降でなければならない。

ウィキペディアを参照すると。

「リーチは1972年まで制作を続け、なお世界を旅して回ることをやめようとしなかった。また、リーチは視力を失っても陶芸に関する著述をやめなかったという。1963年に大英帝国勲章(Order of CBE)を受章し、1974年、に国際交流基金賞を受賞している。1977年、ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館はリーチの大規模回顧展を開いたが、リーチはその2年後の1979年にセント・アイブスで死去した。」

これで見ると1972年までは世界を旅行されていたので僕の入局直後の1972年辺りが一番可能性が高い。1974年に国際交流基金賞受賞のために来日された可能性がないとも言いがたい。

いずれにせよ、僕は森川さんのお陰で最晩年に日本を訪問された世界的陶芸家のバーナード・リーチに会う事ができたことになる。そして正確にいつお会いしたかは別としてまだはっきり覚えているのはリーチの大きな暖かい手だ。握手をした時に手が包まれる様に感じたのをまだ覚えている。