「蓬莱館」(昭和12年発行の「大日本職業別明細図」から)ネットより
祖父豊田福太郎が韓国釜山に建てた旅館、蓬莱館はもう取り壊されてしまったが、戦前確かに釜山にあった。その気になって調べてみるといろいろな情報が出てくるものだ。
以前から知っていたのは「釜山でお昼を」と言うホームページで、かなり詳しい。ページから拾っていくといろいろな、ことがわかる。
以前紹介した福太郎についての記事の中に買い取った敷地に井戸を掘ったら温泉が沸いたと言う談話があったが、その温泉を利用して作られたのがこの旅館である。「釜山でお昼を」によると蓬莱温泉は、豊田福太郎が明治39年(1906年)に東莱温泉最大の温泉旅館として建設した、とある。
さらに祖父は2年後の明治41年 (1908年)に釜山から距離がある温泉に人を呼ぶために東莱-釜山間の軽便鉄道を作ったことも載っている。ネットに載っている戦前の地図には鉄道の路線が釜山から伸びているのが見える。軽便鉄道は既になく、今はバスが走っている。
これもネットに載っている写真で、「この門は東莱観光ホテル時代の門で記念として保存されている」とあるが、(2006/07撮影) 残念ながら今の様子ではない。もちろん祖父が建てた戦前の温泉旅館そのものは早々に取り壊され、その後に建ったロッテ系のホテルが背景に見えるが、手前の門はなくなってしまった。
旅館を立てた豊田福太郎の子孫として思うのだけれど、植民地時代になってから建てたものではなく、日清、日露戦争以前から釜山に住んでいた人間が一個人として建てた旅館が、持ち主が敗戦で帰国した後無断で今のようにロッテ系のホテル農心になってしまっているのは納得できないことだ。
記事によると敗戦でGHQの出した日本人総帰国命令で空いた後を韓国人が使い、1962年東莱観光ホテルになり、2002年から建て直されてホテル農心となった、とある。
政府間の賠償問題は全て終わっているようで、何も韓国政府に弁償しろとは言わないが、釜山のロッテ財閥は健在のようなので、少なくともこの温泉ホテル跡地についてはロッテが弁償するべきものではないかと、日本が韓国に謝る一方の戦後の韓国と日本の関係を仄聞するたびに思う。