第068回:釜山港東莱温泉

戦前の絵葉書:朝鮮東莱温泉場正面全景とある

ネット上の情報によると東莱温泉は、新羅時代には王が訪れた由緒正しい温泉だったそうだ。新羅は935年に滅亡したとあるので935年以前から存在していたことになる。

さらに(明治31年)1898年に日本は朝鮮と賃借契約を結び、日本人専用の温泉旅館を作った。

これは釜山港が開港した頃と思われるが、それ以来、本格的に東莱温泉を開発したのは日本人だった。 日本人は釜山の山間部の温泉地に旅館を建てて遊園地や休憩所を作ろうとした。

ネット情報によるとその中で最初に旅館を開業したのは弥三次という日本人だと言うことだ。 弥三次旅館開業後の明治36(1903年)頃に日本人限定の旅館が建てられ、明治39年(1906年)には祖父の豊田福太郎が買い取った土地から温泉が涌き出たのをきっかけにその敷地に蓬莱館と呼ばれる宿を建てた。

正確に言うと祖父が明治38年(1905年)に坪20銭で買い入れた東莱の土地に突井を堀ったところが図らずも湧き出た温泉がその蓬莱館の原点である。

戦前の絵葉書(釜山名所)釜山東莱温泉場蓬莱館とある

蓬莱館は徐々に拡張され、1920年代初頭には35室、20室の大室、5浴場が建設された。別館前の小川が埋め立てられ、2,000坪以上の広さの庭園が作られた。 福太郎は庭の中に人工の池を作り、ボートを浮かべて釣りが出来る様にした。 規模は1つの小さな公園とほぼ同じで、国内では珍しいものだった。 これに加えて、温泉エリアには多くの旅館が建てられた。