第27回:大隊訓練のこと

 発音がらみで先輩の矢口堅三氏が面白いことを言っていた。英語アナウンスの良し悪しを誰それのニュースは「大隊訓練が良いのでよろしい」と言った風にコメントされることだった。面白い言い方で大体意味は分かるのだけれど詳しいことを一度矢口さんに問い合わせたことがある。すると矢口さんらしい丁寧なご返事をいただくことが出来た。下記の通りである。

「さて、お訊ねの最初の件。これは、私の記憶では、私が個人的に教えを頂いた五十嵐新次郎先生の言ではないかと思います。入局後水庭さんとの会話でこの話が出て、二人で大いに賛同したように覚えていますが、それは貴兄のご質問に特に関係ないので、『大隊訓練』のことに話を進めます。

この表現は個人の英語音声表現を、日本軍隊の訓練になぞらえたものと理解しています。「彼(彼女)の発音はいいんだけど、アナウンス全体を聞くとどっかおかしいんだよな。大隊訓練が出来てないんだ」、などと言いました。なぜ小隊や中隊でなく大隊なのかは分かりません。いずれにせよ、われわれの英語音声表現が、個々の発音を聞くと一応の線を行っている、あるいはかなり上質だが、全体の表現がどうも英語らしくない、下手だということを指しています。今でも具体的な名前が頭に浮かびますが、強調、リズム、抑揚、音の繋がりなどに不備があるのです。

逆に大隊訓練の行き届いた人のアナウンスも、いまだに耳にはっきりと残っています。この人は私の先輩で病気がちのため私の入る直前に英語アナウンサーを辞めた人ですが、発音自体を取り上げれば五十嵐先生とか水庭さんには及ばぬものの、ニュースなどを聞くとすんなりと耳に入ってくるのですね。大隊訓練の行き届いた例として、水庭さんとの話ではいつもこの人の名前が出てきました。因みに、この人は有名な英語教育者・掘 英四郎のご子息、掘 直行さんです。英語アナウンスのあとは渉外部にいらっしゃり、ずっと前にお亡くなりになりました。」

全文をそっくり書き写してしまったが、大先輩水庭先生の半生記「チューリップ唇をすぼめて英語の[u:]」(2013年、茅ヶ崎出版)を読み直していたらまさにこの関連で日本人の発音について示唆的な記事があることを発見した。

水庭さんはこう言っている。「英語の『話し言葉』、つまり、English speechで大切なのは個々の発音であることは論を俟たない。しかし、それは飽くまで基礎であって、英語の個々の音が正確に発音できるからといって、その人の話す英語が英米人に抵抗なく理解されるとは限らない」と。またある言語学者を引用してこのあたりを解説している。「つまり 理解をよくするためには個々の正しい発音よりも全体の正しいスピーチ・フローの方が重要だ。スピーチ・フローとはストレス、リズム、イントネーションを総合した「言葉の流れ」である。個々の音の習得も容易な業ではないが、正しいスピーチ・フローを身につけることも至難の業である。しかしこれは車の両輪のようなものであって、どちらが欠けても車は動かないのである」。

さらに読み進むといよいよ「大隊」が登場する。「個々の音というのは、軍隊用語を遣うのはいささか憚るが、言わば各個教練のようなものである。各個教練はもとより大切だが、それにもまして大切なのは、各個教練で習得した基礎知識を応用に移す分隊、小隊、中隊、大隊教練である。即ちconnected speech又はspeech-flowと呼ばれるものがそれである。」と水庭さんは続ける。

これで「大隊教練」の意味がかなりはっきりしてきた。

発音は大事だが、それと同じくらい、あるいはそれにもまして大事なのは個々の音をつなぐ流れだと水庭さんは言っているのだ。「日本語の英語には『なめらかさ』がない。何が原因でそうなのだろうか」これについて水庭さんはこう続ける。「どうも呼気の流れ(breath stream)の遮断に原因がありそうである。呼気の流れの遮断は言うまでもなく『声門閉鎖(glottal stop)』によって起こる。日本人は母音で始まる言葉を発音するときに、このglottisを閉じたり開いたりする癖がある。このため、言葉がちぎれちぎれになってしまう。」というのだ。ではこれを防止する方法は。

この辺りについてはまた。

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