第26回:マリー・ワトソン先生の事

 以前書いた通り、僕が アメリカに渡ったのは1958年、 最初に住んだのはコロラド州 コロラド・スプリングス だったが、結局1年満たずで、移動。次に移住したのはマサチューセッツ州レミンスター市だった。ボストン近郊の小都市だ。

この街での僕の転校先はMay A. Gallagher Junior High School、メイ・エイ・ギャラガー・ジュニア・ハイスクールという中学校で、この学校の先生方の事はかれこれ50年たった今でもまだ顔と名前を記憶している。その中でも一番良く覚えている先生は メアリー・ワトソン(Mary Watson)先生、ラテン語の先生だった。小柄な白髪の先生は僕には老人の様に見えたが、恐らく当時50歳くらいだったろう。今生きていらしたら100歳を超えることになるので恐らく既に亡くなられたことと思う。この中学は女性の先生が多かったが、このレベルでは普通だった。

さて、何が素晴らしかったか。何しろ アメリカに渡って まだ 二年も経っていない僕の様な、英語も片言に近い生徒にもまともに、対等に、対応して下さった事だ。 例えば 先生のラテン語のクラスで、 僕はほとんどついていけないくらいだったのに(何しろ同時進行で 英語を学習していたわけで、とても無理だったわけだが)その僕の質問でさえきちんと聞いて下さった。

この中学には大学進学のコースと専門学校進学と二つのコースがあったが、思い起こせば当時僕は身の程知らずにも大学進学コースに在籍していた。進学には外国語並びにラテン語が必修だったのだ。

一つの例が 頭に浮かぶ。当時 始めたばかりの初歩のラテン語の教科書の語彙にマーレmare(海)という言葉が出てきた。そして ラテン語はいろいろな 英語の語彙につながる ということで 先生は一つの例を出した。サブマリーンsubmarine(潜水艦)という言葉は 語源的にはサブ sub、つまり下とmarine 海の二つの言葉が組み合わさってできているのだ ということを教えて下さった。なるほど英語というのはそういう風にラテン語が 下敷きになっているのだ、ということがよくわかった。そして同時に 僕は、その少し前に 水を意味する別のラテン語を習ったことを思い出した、アクアaquaだ。そして僕は先生に質問した。

「aquaという言葉には水という意味があるではありませんか、 それだったら 英語には subaquaという語彙があるんではないでしょうか」と。

それを聞いた先生は真顔で教室の英語辞書を参照し、そしてその割と小さい辞書には その様な語彙が載っていないことを確認した後でクラスの生徒に「subaquaという言葉が大きな辞書に載っていないか調べておいで」と言ったのだ。

学生は戻ってきて「残念ながらsubaquaなんて言う言葉は載っていません」と先生に報告した。

基のラテン語にも無いのだろう、しかし 肝心なことは ワトソン先生は 英語もまだわからない僕のような子供の質問を 真面目に 受け止めてくださり、さらに その言葉を 辞書で 確認してくださった、ということだ。 もしかすると先生は そんな言葉はないくらいのことは 分かっていらっしたのかもしれない。 しかし 嬉しいではないか 昨日アメリカに来たばかりの子供の言ってることでも 1回は確認してやろうという姿勢。 これは 未だに 僕の頭の中に残っている。子供には すべての先生が偉い存在なんだけれど、 そういう偉い先生が、子供の言うことを真面目に聞いてくださる、という 嬉しい場面だった。

またワトソン先生は、ラテン語をみんなの身近なものにしようという目的で 年に一回 ラテン祭りという大会を主催した。中学校の小さな屋内運動場で、本当はバスケットボールに使う空間だったが、いっぱいに使って ローマ時代のコロシアムのような 場所を作った。グラデイエーターgladiator(闘士)の戦いとか、模型のチェリオットchariot(古代戦車)の競争とか、皆喜んで参加した。

ところでこの話には後日譚がある。実は今回この原稿を書くにあたってsubaquaについて英和辞書で確認した。すると不思議なことに英語の語彙としては聞いたことがないが、項目としてはsubaquaという言葉が存在することを発見した。研究社の中辞典のこの項目は形容詞、意味はまさに「潜水、水中」ということだ。他にもsubaquaticとあって「水面下で成長、居残る」とある。ただ残念ながらsubaquaだけでは潜水艦の意味はない。強いて言えばsubaquatic vehicleなどだろうか。subaquaという単語の意味がsubmarineとは違うのだからあの日の結論に問題はない。むしろワトソン先生のオープンな心が垣間見えた貴重な体験だった。もう一ついうと当時のアメリカ人は今よりずっと心が広かった様に思える。終戦からまもない時であったにも関わらずこの間まで敵国だった国の子供が現れても受け入れてくれた、当時のアメリカからは何か学ぶところがある様に思う。

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