第14回:川田チーフアナウンサーのこと

 英語アナウンサーの僕の職場はラジオジャパンだった。ご存知かもしれないが、ラジオジャパンの前身は、戦前のラジオ東京だった。

しかし戦後のラジオジャパンは戦前のラジオ東京と一線を画し、日本の戦意高揚等と言うことではなくて、日本をよりよく知ってもらうために海外に放送する広報機関に生まれ変わったのだ。

戦前のラジオ東京が一旦廃止となったとき、ほとんどの要員は解雇、ないしは他の業務に振り分けられたため、戦後の国際放送は極めて例外的なケースは別として、全く新しい体制の元で放送を再開した。

戦前と同じく、その中心は英語の放送だったが、再開するにあったって当時のいわば一期生として雇い上げられたのが、先輩の川田さんであった。もちろん他にも複数のすばらしい先輩がいたが、川田さんは特別な存在だった。

それはまず抜群の英語力、次にアナウンス力。そして後にも先にも日本人としては無比の、すばらしい低い、暖かい、バリトーンの声であった。

川田さんは戦後のラジオジャパンを代表する声、まさにボイスジャパン、日本の声だったのだ。

他の短波の放送局と同じ様にラジオジャパンでも送信の間に音楽を流していたが、そのメロディーは「かぞえうた」だった。そしてその合間に英語で”This is Radio Japan, the overseas service of NHK”と聞こえる。それはまさに川田さんの声だった。ニュースを読みにスタジオに入ると放送に入るまで心を落ち着かせてくれた。

しかし川田さんは英語をどこで学習したのか。ラジオジャパンに入局後のBBC派遣時代に英語に磨きをかけた事は確かだが、それ以前の教育は戦時中であったはずで、あれほどの英語を身につけるのは容易なことではなかったと思われる。

大学は確か立教で、イギリス英語はその関係かと思われる。しかし彼の英語をささえていたものはかなりの部分が独学でそれも演劇の影響があったものと思われる。暗唱などをかなりなさったのではなかろうか。

そういえば川田さんはシェイクスピアが大好きで、凡その有名なパッセージは全く空で覚えていた。これは確かに英語学習に有効と思われる。シェイクスピアとまでは言わないまでも何か良いお手本を見つけて暗唱することだ。

川田さんはあまり押し付けるのが好きではない方で、何かしっかり教わった事は無いのだけれど、研修の時に「これを聞いて学習しなさい」と言われて、まだ覚えているのが、アンデルセンの有名な童話で、確か「王様とナイチンゲール」だった。原稿とカセットを配ってくれた。名前は忘れたが、読んでいたのは有名なシェイクスピア役者だった。少しでも耳を慣らすようにと言う配慮だったと思う。

後は僕なりの解釈だが、川田さんは戦後しばらくの間日本に駐留していた、当時進駐軍と言っていたが、米国占領軍のアルバイトをしていたと言う。実は他の先輩にもアルバイトをしていた人がいて確かにこの時期に英語を学習する場としてはまたとない手段だったと思われる。

その後アメリカ銀行でもしばらく勤めてたと聞いたが、こちらも英語が必要な職場である事は確かだ。なぜやめてしまったのかと言うと、頼まれたら断れない性格で、当時盛んだった組合運動に参加したことが理由だったようだ。会社としては組合運動で特にリーダーシップを取るような人は置いておけなかったと言うことらしい。

大先輩として彼の存在を讃えたい。平成26年(2014年)12月3日に亡くなられた。もう7回忌だ。

ご冥福を祈ります。

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