第9回:英語アナウンサーの資質

 今日は英語アナウンサーとはどんな人たちなのか、またどんな人が英語アナウンサーに適しているのかをみていきたい。もちろん日本の英語国際放送でニュースを読む人に限ってだ。

出発点として実際に放送を担当していた人達をみて見よう。ウィキぺディアに「英語アナウンサー」と言う項目がある。

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC&oldid=67628366

過去に英語アナウンサーだった人のリストだがこれは自分が在籍していた時期、つまり戦後に限りたい。

 残念ながら若干名ウィキに名前が載っているメンバーを除いてここには詳しい経歴は載っていない。自分の知識でその辺りを補うと、まず全員日本人である。これは語学の知識がかなり無いと英語のニュースなど読めるわけがない一方、NHKの職員として採用されるためには日本国籍を持っていなければならないので、当然のことかと思える。また若干名の日系人以外は最終学歴も日本である。例外は僕くらいかも知れない。戦前は外国(特にアメリカ)の大学卒の者も多数オンエアーしていたらしい。ウィキの「英語アナウンサー」という項目には結局職員に採用された者が載っているわけだが採用時のプロセスには若干の違いがある。リストを見ていくと国内の、つまり日本語のアナウンサー、あるいは国際放送の英語アナウンサーとして「正規」に採用されたのは約半数の18名。その他、中途あるいはオーディションのようなプロセスで採用されたのが、僕を含む、残るは24名。その他戦前の放送も体験したと思えるメンバーが数名。このリストで最も有能/適任と思えるのは戦前も体験した数名と戦後の国際放送が再開に先駆けて採用された正規採用複数名、次に国際放送拡充時に採用された「中途採用」20名の特に有能と思える数名である。

 何と言ってもトップは前述の水庭進氏だ。戦前のラジオ東京時代にはすでにアルバイトで国際放送に参加していたという経歴だけでも特別だが、戦後国際放送が再開された時には全てを切り盛りした人だったと僕は思っている。戦時中でもあり英語はすべて国内で学習。出身校は東京外語大。発音は目を瞑ったらイギリス人としか思えない英語だった。

水庭進さんについてはウィキのページに詳しい記述がある。

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%B0%B4%E5%BA%AD%E9%80%B2&oldid=67409428

 水庭氏に続く人材では、まずは矢口堅三さんがいる。戦後の国際放送再開にあたって英語アナウンスを立て直した最大の功労者だろう。出身校は青山学院大学。発音は綺麗なイギリス英語。矢口さんに続くのは国際放送拡大の時に採用された川田政 甫さんで出身校は立教大学。英語アナウンサーになる前はアメリカ銀行で仕事をされていたらしい。深いバリトーンの声はまさに日本の声だった。発音はイギリス英語。シェークスピア役者の英語のように思えるほど立派な英語だった。

 戦後米軍が日本を占領した時代になぜイギリス英語が国際放送の英語として主流となったのかは不明だが、一つには戦前の英語教育は恐らくイギリス英語が中心だったのでは無いか。もう一つ考えられる事は、戦時中の国際放送が、アメリカ英語が中心だった事に対する反動だったのかもしれない。戦前の英語放送はアメリカ向けが中心だったこともあったので日系のアナウンサーがメインだったようだ。この3人の後は英語力があっても発音に関しては続くものはいない。しかし、日本から日本人によって放送される英語の放送がイギリス英語である必然性はない。しかし水庭さんは御自身の過去の経験からカナダの英語が国際放送に向いていると思っておられたようだ。僕個人としては、むしろ日本人が放送するのなら英語でも米語でも無い日本英語の方が良いのかもしれないと最近では思う。日本英語とは何か、それはまたの機会に。

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