第032回: ラフカディオ・ハーンの事

 6月27日は小泉八雲(ラフカディオ ハーン)の誕生日だった。170周年という切りの良い年となる。

小泉 八雲(こいずみ やくも、1850年6月27日 – 1904年(明治37年)9月26日)は、ギリシャ生まれの新聞記者(探訪記者)・紀行文作家・随筆家・ 小説家・日本研究家・日本民俗学者。

僕はNHKラジオジャパン在籍の頃に小泉八雲の番組を作ったことがある。八雲は日本を世界に紹介した日本の恩人だ。そもそも日本について英語で書いたので国際放送の英語番組には格好の材料だった。

その時は島根県松江まで出張して取材したが、松江は八雲縁の地でもあり地元の八雲会と言う小泉八雲を顕彰する会の会員になった。しかし、八雲との付き合いは大学に遡る。

僕の母校はカリフォルニア大学ロスアンゼルス校だが、在学中に知り合いになった2歳歳上のアメリカ人の同窓生は古書収集家で、彼が特に専門として集めていたのがアジア関連の書籍、特に小泉八雲の本だった。当時八雲が「怪談」の著者である事くらいは知っていたが、それ以外にも日本について書いていたとは知らず、さらに八雲が実は英国人で「怪談」も元は英語で書かれたと事も初めて知った。古書収集家の友人は、アメリカの日本研究者で八雲の本を読んでいない人は無く、八雲を知らない人は「モグリ」だとも言った。これには驚いた。

実際八雲は日本についてざっと十冊の本を残している。

•             知られぬ日本の面影 (Glimpses of Unfamiliar Japan) 1894年

•             東の国より (Out of the East) 1895年

•             心 (Kokoro) 1896年

•             仏陀の国の落穂 (Gleanings in Buddha-Fields)

•             異国風物と回想 (Exotics and Retrospectives) 1898年

•             霊の日本にて (In Ghostly Japan) 1899年

•             影 (Shadowings) 1900年

•             日本雑録 (A Japanese Miscellany) 1901年

•             骨董 (Kotto) 1902年

•             怪談 (kwaidan) 1904年

•             日本―一つの解明 (Japan: An Attempt at Interpretation) 1904年 

•             天の河綺譚その他 (The Romance of the Milky Way and other studies and stories) 1905年

(ウィキペディア参考)

さらに八雲は日本に渡る直前まではアメリカのシンシナチとニューオルリーンスに住んでいてアメリカについても歴史に残る著書を残していた。

良く考えるとアメリカでジャーナリストとして一定の地位を築いた後で日本に渡った事は日本にとっては極めてありがたい事だった。日本について彼が書いた本はすぐにアメリカの読者を集める事が出来た訳だ。

彼が書いた最後の本はちょうど日露戦争が始まった頃に出版されたが、僕はアメリカの当時の大統領、シオドアルーズベルトが親日家で日本とロシアの和平交渉を取り持ったのも八雲の作品によるところが大きいと思う。まさに日本の恩人だ。

八雲についてはまた。

(995文字)

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