第067回:祖父豊田福太郎語る(続き)

記者のコメントから続けよう。

余は以上の直話より、彼が成功の過程を知り得たるのみならず、その特色美点とも称すべきものを知るを得たり。=他無し=彼が実業的才能手腕は幼少より研究を重ね実験を積みたる事=僅かに百四五十円の資本を持って良く三年間に五線円内外の利益を獲得したるは彼が忍耐、勤勉、質素、労苦を既知するに足る事=幾多の店員中彼1人支配人助役に挙げられ、かつ後年日刊貿易会社の後を継承するわ、彼が同行及び先輩に信用しろと言うのみならず。今日の成功は全くこの時に起因することこれなり。読者もしこの直話を熟読玩味せば、言外必ずや得る所あらむ

(3)土地家屋の買収、家庭と嗜好

1代に数十万乃至数百万円の財産家になるには、到底尋常の事では駄目です

私は日清戦争の際に一時我陸軍の韓語通訳を務めたこともありました。当時私は信じるところあって佐須東原の土地三千坪ほど買い占めました、今の遊郭地ですよ。地価ですか?坪たった十五銭の割合でした。

戦争と同時に人口の増加となり、居留地の発展となり、従って土地の価格がメキメキ騰貴したです。

そこで私は引き続き土地家屋を買収したです。然るに当時坪十五銭の土地が、わずか十年内外に地価百倍以上に騰貴したです。時勢の変遷驚く可しですナ。

十年後に日露戦争が起こる。さぁ今度は三、四千円を投じて三浪津付近の荒地百万坪以上買い占めました。地価ですか?坪二厘より七八厘の割合ですよ。

三十八年に坪ニ十銭で買い入れた東莱[とね]の土地に突井を堀ったです。ところが図らずも温泉を発見したんです。

(この辺は言い伝えで聞いていたが、祖父本人が話している記録は初めて見た。本当だったんだ。)

私の平生の嗜好ですか?別にこれはと言うほどのものはありません。愛読の書物?それも定まったものはありません。まぁ新聞雑誌を読む位です。

愚妻ですか?ははァ.… 厳原国分町の生で、憐子と申しますよ

子供は二男三女の五人です。名ですか?長女は節。二女壽代、三女は雪江、ソレに長男を泉太郎、次男を湧治郎と申します

私は昼は毎日此商店に居ります。が夜は大廟廳の本宅に帰ります。

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見よ十数年前僅かに百四、五十円の資金をもって穀物商を開始せるの彼は、機を見て進み、利を見て取り、而して終に釜山商界に雄視するに至れるにあらず耶。勿論彼が成功の一大近因は大池、迫間、福田、萩野のソレの如く土地家屋の買収にありと雖も、而も彼にして平常機運を捉ふる要意と敏才無くむば、必ず是をよくすることを得む耶。況や数十年来曾て一度として失敗の跡を止めず。飽くまで階梯を踏むで奮闘せるに於いておや。是譬えば楚々たる渓流合して滔々たる河川となり、更に膨翔として漫々たる海洋に注ぐが如きもの也。蓋し此単一無味なる経歴は却って其半面に於いて、彼が如何に営業場に腐心し焦慮しつつあるかを想見せむ也

(四)彼が直話に含まれたる教訓

以上彼が直話は吾人に諷刺して曰く

自己の業務には常に注意と経験と研究とを怠らぬ様にしなさい

忍耐と節倹と勉強とを以て事に当たれば必ず成功します

時機にに乗ずることは実業家には最も必要です。然し投機的冒険的のことは断じて避けなさい。

慢は損を招き謙は益を受く、実際です。商人は何より信用が大切ですよ

永住計劃を為しなさい。成功にあせッてはいけませむ。何でも一事業を成就するには十年はかかります。論より證拠朝鮮の成功者をご覧なさい

一念果たさざるにおいては百念無用です。理論よりは実行、無形よりは有形、明日よりは今日、花よりは実が大切です。

秩序を守りなさい

ゆるゆる急げ

金銭は天下をも買うことができます。当節は何より金儲けが1番上策ですよ

と蓋し彼春秋未だ四十、その前途なお多望也。自愛せよ。

(感想:まさに当時の成金だったのだろう。しかし最後の教訓は堅実そのものだ。せっかくの資産を戦争のためとは言え伯父の代でなくしてしまったのだから祖父が生きていたらさぞ呆れたことだろう。一方で泉太郎伯父は石橋を叩いて渡らないように人ではあった。それはまさに「時機にに乗ずることは実業家には最も必要です。然し投機的冒険的のことは断じて避けなさい」の訓示を半分は守った訳だが)

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