第047回:コロラドスプリングスの家

 僕が最初にアメリカに行った時に到着したのはコロラドスプリングスだったと言う事は以前書いたと思うけれど、60年後にそこで住んでいた家を訪問した事は書かなかったと思う。

話せば長くなるので途中のいきさつは書かないが3年前、縁あってコロラドスプリングスを訪問する機会があった。しかし、何しろ13歳の時にたったの一年滞在しただけのところなので、住所も定かでなく、知り合いと、昔の中学校(ここは覚えていた)North Junior High School を起点にあちらこちら駆けずり回ったけれどよくわからなかった。

しかし、アメリカの地方文化を保存する拠点で、図書館ではないが、コロラドスプリングス郷土文化博物館へ出向いて学芸員に聞いたところ、もし家を借りていたんだったらあなたの両親の名前で電話番号が登録されているかもしれない、つまり古い電話帳を探してくれると言うのだ。

何しろ60年以上前の事だからおそらく無理だと思ったし、相手の人もあまり期待をせずにちょうどお昼だったので食事が終わったらもう一回覗いてくれと言った。

そして一時間後、その担当者がいるところに向かうと、住所がわかったと言う。驚き!僕のアメリカ人の親父の名前で電話番号と古い住所が載っている電話帳があったと言うのだ。

そこで知り合いと一緒にその住所に行ってみたところ、まず驚いたのはそこは最初起点としていたノースジュニアハイスクールがある北のほうではなくて、むしろ市の南の方、それも学校からかなりの距離のところにあったと言うこと。そしてそこは知り合いの家のすぐ近くだった。

いくつか思った事。確かに子供の頃のことで、すっかり忘れてしまっていたが、僕は当時自転車に乗って、小さい街だけれど結構な距離を町の中心部を通って通学していたと言うことだ。

それから、家の前には当時確か牧場があったと記憶していたのだが、そこは今や広い公園になっていた。住所の場所に立っている建物は平屋だったのが今や二階建てになっていたが、おおよその輪郭はそのままで、その家の前に立って向いを見るとなんとそこには昔引っ越した日に撮った写真と同じ景色が展開していた。

さすがにもう馬はいなかったけど遠くの丘の上に見える建物は全く昔のままだった。しかし危ういところだった。

知り合いに聞くとこの辺は最近かなり大幅に建て替えが行われていて、僕が家を見つけたのは奇跡だったかもしれないと言っていた。たしかにアメリカにしても古い家だ。泊まった記憶があったモーテルは取り壊されてもう全く消えていた。

他にも当時家の家具を買ったシアーズSearsはちょうど僕が訪問したその週に閉店になると言うことだった。当時全く新しくできたシアーズが60年後に訪問したときに閉店なると言うのは何かの因縁話のような気がした。シアーズは僕を待っていてくれたのだ!

しかし、それにも増してもう二度と見ることがないと思った昔の家を見ることができたのは感慨深い事だった。

さらにオマケだが、ノースジュニアハイスクールにはなんと僕が在学した時の成績表がPDFファイルとして保存されていた。親切な担当者がプリントアウトしてくれてプレゼントしてくれた。

僕は記憶の中で少なくとも一年半いたと思っていたのに成績証明書で8ヶ月ぐらいだったということが明らかになった。その理由の1つはご存知の方もいるかもしれないけれどコロラドスプリングスと言うところは真夏でも雪(雹)が降るところで本当に雪が降っていた時に入学して、次のところに移る直前にもう一度雪が降ったのだと言うことを思い出した。およそ2年経ったと思ってしまったのだ。

この思い出の家は残念ながら入ることができず、心残りだったが、実はその後機会があってもう一度訪問した時には困ったことにその家は何か不法な、麻薬のようなものを作る拠点になってしまったらしくて、表に青い警察のテープが貼ってあり、全く廃屋になっていた。確かにオーラがあまり素晴らしくないと思った。

そしてつい数日前その知り合いから1枚の写真が送られてきて、今の家の状態を見せてくれたが、これは単にハロウィーンのデコレーションなのだろうけれど、僕個人としてはあまり嬉しくない。ドーチェスター墓地Dorchester Cemeteryと看板には書いてある。

今のアメリカの状態を反映しているのかもしれない。残念な事だ。

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