第053回:森川さんのこと

国際放送の関連では僕は原則まだご存命の場合はよほどの理由がなければこのコラムでは取り上げないことにしてきたので森川淑子さんの事は書いたことがない。いつか来ることではあったが、まさかあの元気な方がと思っていた森川さんが先月18日に亡くなられた。1931年生まれだから89歳だった。

森川さんはクリスチャンだったので12月の5日浦和の日本キリスト教会浦和教会で「昇天記念式」と言うものが行われると知り、伺った。この教会はお母様と妹さんの教会で森川さんがメンバーである港区のクリスチャンサイエンスの教会からは少し遠かったが、身内がアレンジされたので致し方ないことだろうと思った。

教会では神父が森川さんの一生を紹介してくださった。僕も知っていることもあったが、このように詳しくはご本人の口からは聞いたことがない。何しろとても謙虚な方だったからだ。

森川淑子
1931年3月15日生まれ
プロテスタント信徒のご両親のもと、3姉妹の長女として生まれた。会場におられた9つ下の妹さんからは、歳が離れていたので、姉妹というよりも、先生の様な側面が強く、小さい頃はピアノや勉強、旅行先でボートの漕ぎ方を習う等、なんでもできる姉として時に尊敬され、時に恐れられもしていた。

戦前はお父様が大手の船会社にいらした関係でロンドンなどに住んでおられた。第二次世界大戦勃発後氷川丸で帰って来られた帰国子女のはしりでもあった。

帰国後、高校は埼玉では知らない人のいないトップ進学校浦和第一女子高等学校(通称「一女」)に入学するが、ご両親のご意向で在学中にメソジスト派のミッションスクール青山学院高等部に編入、同窓にはピアニストのフジコヘミングがいる。

その後、東京女子大に進学し、卒業後はミズーリ州セントルイスのワシントン大学で修士課程を修了。24歳の頃、クリスチャンサイエンスに入信し、以後亡くなる直前まで教会での奉仕活動と礼拝を欠かさなかった。生前の森川さん曰く、この頃から神についてより強くその存在を見つめる様になったとのこと。

セントルイス・ワシントン大学で修士課程を修了後はNHK国際放送局に入局。アナウンサー、記者、プロデューサーとして70歳になられるまで活躍された。

森川さんは物静かな方ではあったが、自立心の強い方で高齢になってからも青山のマンションでひとり住まいをされ、妹さんや親族の方にもご自宅の合鍵を預ける事はなかった。

結局最期も一人で住んでおられたが、週に何度かヘルパーさんを呼んでいたが、11月半ば伺っても応答が無く、翌週になっても音信不通なのを不審に思ったヘルパーさんが妹さんに連絡、妹さんがマンションに行ったが、前述の様に妹さんはおろか管理人さんも鍵を持っていないので、仕方なく警察を呼び窓を割って部屋に入ると、ベットの傍で既に事切れておられた。警察の検死の結果、勿論事件性は無く高血圧性の心不全という事だった。

あのお元気な森川さんがもうこの世におられないとは、にわかに信じがたいことだ。僕はNHKの国際局に入局した1971年以来暖かくご指導いただき、いろいろ思い出すことがある。

最初に取材に出かけた時、霞ヶ関のイギリス人の町長さんだったが、一緒に取材に付き合ってくださり、周辺で聞き込みをするようなことまでご指導下さった。

このイギリス人の町長さんは戦前宣教師として日本に住んでいた人で、その後マニラに移住されたのだが、日本語ができた関係で捕虜収容所の通訳をされたと言う話をして下さった。

気になるテーマでずっと温めていたのだが、その後その収容所のことを書いた本を入手。いつか翻訳したいと思っていたのだが、なかなか難しい本で時間もなく、著者は亡くなっていたが、著作権所有者の許可を受け、最近ようやっと翻訳し終わった。

森川さんに相談したところなんと亡くなられるほぼ直前までいろいろ手を入れたりしてご指導して下さつた。考えてみると初めて取り組んだテーマに最後まで付き合ってくださったことになる。

この本について森川さんは生前こういうコメントを下さっていた。

『第二次世界大戦下、大東亜共栄圏なるものの下に日本の占領下にあった国々、人々のことがいつも気になっておりました。この仕事でそれを垣間見ることができました。しかも、普通は、日本人かアメリカ人の目で見たものにしか触れられないのですが、この作品は、現地の人、しかも子供の目でみたものであり、しかも日本を悪者にしていない、大変貴重な文献であるように思います。

飢餓というものについても知りました。あの大戦で310万人の日本人が亡くなったと言われ、その大半が外地の兵士、しかもその85%が飢餓による死であったと言われています。

この本は非常に多くのことを示唆しています。日本人にはぜひ読んで欲しい本ですね。

森川淑子』

何としてでも出版に漕ぎつけたい。

ご冥福を祈る。

軽井沢大賀ホールを望む、2017年6月4日フジコヘミング、ピアノリサイタルの日

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